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成田山 横浜別院 延命院

(なりたさん よこはまべついん えんめいいん)

成田山 横浜別院 延命院は、神奈川県横浜市西区宮崎町に位置する真言宗智山派の寺院です。この寺院は、千葉県成田市にある成田山新勝寺の横浜別院として設立され、通称「野毛山不動尊」や「横浜成田山」として親しまれています。

歴史

創建と高島嘉右衛門の協力

成田山 横浜別院の創建は、1870年(明治3年)に遡ります。この年、高島易断で名高い高島嘉右衛門の協力を得て、成田山新勝寺の横浜別院として設立されました。当初は、現在の神奈川県横浜市南区西中町にある普門院の境内に遥拝所が設置され、これが横浜別院の始まりとなりました。この遥拝所は、横浜へ移住してきた成田不動尊の信者たちの強い要望に応える形で設立されたものです。

現在地への移転と名称変更

1876年(明治9年)には、横浜別院は現在の宮崎町へ移転し、名称も成田山教会所に改められました。その後、1893年(明治26年)には正式に成田山 横浜別院 延命院と改称されます。この際、寺号の「延命院」は、かつて七代目市川團十郎が天保の改革で江戸を追放され、新勝寺境内の延命院にしばらく身を寄せていたことに由来しています。

本尊・不動明王の由来

延命院の本尊である不動明王は、かつて徳川家の秘蔵仏として祀られていたものです。この不動明王は、元禄年間に徳川家が成田山新勝寺に対して家門の安泰を祈願した際に下賜されたもので、伝説によれば聖宝(理源大師)の作とされています。この貴重な仏像は現在も本堂内で拝観することができ、多くの参拝者がそのご加護を求めて訪れています。

境内地と寄進

成田山 横浜別院の境内地は、高島嘉右衛門および新栄講によって寄進されたものであり、この地で世界平和や万民豊楽を祈願するための活動が続けられています。

新本堂の建築と自然災害

2013年(平成25年)11月より、新本堂の建築が開始され、その間は水行堂が仮本堂として使用されていました。しかし、2014年(平成26年)10月6日、台風18号による土砂崩れで一部が倒壊する事故が発生し、この事故により、僧侶が生き埋めになり死亡するという悲劇が起こりました。この出来事は寺院にとって大きな痛手となりましたが、翌年の2015年(平成27年)には新本堂が完成し、11月25日に入仏式法要が盛大に執り行われました。

開創150年

成田山 横浜別院は、2020年(令和2年)に開創150年を迎え、これまでの歴史を振り返りながら、さらなる信仰の場としての発展を誓いました。この節目の年には、多くの行事や記念式典が執り行われ、地域社会における重要な役割を再確認する機会となりました。

Information

名称
成田山 横浜別院 延命院
(なりたさん よこはまべついん えんめいいん)

横浜

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