横浜市開港記念会館は、神奈川県横浜市中区の関内地区に位置する歴史的建造物であり、国の重要文化財に指定されています。この建物は、横浜港開港50周年を記念して建設され、大正時代から現代に至るまで、さまざまな歴史を経て市民に親しまれてきました。
横浜市開港記念会館は、1909年(明治42年)の横浜港開港50周年記念事業の一環として計画されました。1913年(大正2年)に設計が決まり、翌1914年に着工されました。建物は1917年(大正6年)に完成し、当初は「開港記念横浜会館」として開館しました。この会館は、市民からの寄付金50万円を元に建設され、開館式には大隈重信や徳川家達といった当時の著名人が臨席しました。
1923年(大正12年)に発生した関東大震災により、横浜市開港記念会館は大きな被害を受け、倒壊しました。しかし、時計塔と一部の壁体だけが辛うじて残りました。その後、1927年(昭和2年)に復旧工事が行われ、震災前の建築様式を復元する形で再建されました。ただし、この時点ではドーム屋根が再建されることはなく、再建されたのは1989年(平成元年)のことです。この再建により、建物は国の重要文化財に指定されました。
横浜市開港記念会館は、大正期の公会堂建築を代表する建物の一つです。設計は福田重義と山田七五郎によるもので、辰野式フリークラシックと呼ばれる建築様式を採用しています。この様式は、関東大震災後の構造補強を経て、いわゆる復興デザインが加えられました。高さ約36mの時計塔は「ジャックの塔」の愛称で親しまれ、神奈川県庁本庁舎(キングの塔)、横浜税関本関庁舎(クイーンの塔)と共に「横浜三塔」の一つとして市民に親しまれています。
第二次世界大戦後、横浜市開港記念会館は連合国進駐軍に接収され、「メモリアルホール」という通称で使用されました。進駐軍の司令部として使われたこの建物は、1958年(昭和33年)に接収が解除され、翌1959年には現在の名称「横浜市開港記念会館」に変更されました。その後、1985年(昭和60年)には、創建時の設計図が横浜市内で発見され、これを基にドーム屋根が1989年に復元されました。
横浜市開港記念会館は、地上2階、地下1階に加えて、高さ36mの時計塔を有しています。初期の大正期から進駐軍接収時までは、地下階がダンスホールや食堂として使用されていましたが、現在はボイラー機械室として使用され、一般の利用には供されていません。
館内には481席を有する講堂があり、市民の集会やイベントに利用されています。
9室の会議室が設けられており、これらは様々な会議やセミナーに利用されています。
歴史的な資料を展示する資料コーナーが設けられており、訪れる人々に横浜市の歴史を紹介しています。
また、自動販売機コーナーや事務室も設けられており、来館者の利便性が図られています。
このように、横浜市開港記念会館は、その歴史的背景と建築様式から、横浜市の重要な文化財として保存されており、現在も市民の生活に密接に関わる公共施設として利用されています。時代の変遷とともに多くの変化を遂げてきたこの建物は、今もなおその威厳を保ち続け、横浜のシンボルとしての役割を果たしています。