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外交官の家(旧内田家住宅)

(がいこうかん いえ きゅう うちだけ じゅうたく)

外交官の家、または旧内田家住宅は、1910年(明治43年)に建築された塔屋付き木造2階建の西洋館です。この建物は、明治・大正時代の外交官、内田定槌の住宅として東京都渋谷区に建てられましたが、現在は神奈川県横浜市中区山手町に所在しています。「旧内田家住宅」という名称で、1997年(平成9年)に国の重要文化財に指定されており、その歴史的・文化的価値が広く認められています。

内田定槌と外交官の家の誕生

外交官の家は、明治政府の外交官であった内田定槌の邸宅として、1910年(明治43年)に建てられました。内田定槌は、日本の近代外交を支えた重要な人物であり、その邸宅もまた、西洋文化の影響を強く受けたデザインが施されています。この住宅の設計を手掛けたのは、アメリカ人建築家のジェームズ・ガーディナーであり、彼の設計により、塔屋を備えた美しい木造2階建ての西洋館が完成しました。建物は、当時の最新技術と西洋建築様式を取り入れたものであり、その斬新なデザインは、当時の日本では非常に珍しいものでした。

横浜市への移築と復元

外交官の家は、長らく東京都渋谷区南平台町に所在していましたが、1997年(平成9年)に内田定槌の孫である宮入久子から横浜市に寄贈されました。その後、神奈川県横浜市中区にある山手イタリア山庭園に移築され、復元が行われました。この移築・復元作業は、建物の歴史的価値を損なうことなく行われ、当時の姿を忠実に再現しています。同年には、国の重要文化財に指定され、現在では一般公開されており、多くの人々が訪れる観光名所となっています。

建物の特徴と内部の展示

外交官の家の内部は、1階には食堂と客間があり、2階には寝室や書斎が再現されています。この配置は、当時の上流階級の暮らしを垣間見ることができる貴重な資料となっています。また、展示室には、ジェームズ・ガーディナーの建築作品や、当時の外交官の生活に関する資料が展示されています。これにより、訪れる人々は、単なる建物の美しさだけでなく、明治・大正時代の日本と西洋の文化交流や、外交官の生活を知ることができます。

附属棟と喫茶コーナー

外交官の家には、附属棟があり、そこには喫茶コーナーが設けられています。訪れた人々は、当時の建物の雰囲気を感じながら、リラックスして過ごすことができます。喫茶コーナーでは、クラシックな西洋建築の中で、ゆったりとした時間を楽しむことができるため、多くの来訪者に人気です。また、附属棟にはその他の展示や、特別イベントが行われることもあり、様々な形で文化交流の場としても機能しています。

まとめ:外交官の家の意義と魅力

外交官の家は、明治・大正時代の日本における西洋建築の代表例であり、その歴史的価値は非常に高いものです。内田定槌の邸宅としての背景や、ジェームズ・ガーディナーの設計による美しい建築様式、さらに横浜市への移築・復元に至る経緯など、訪れる人々に多くの歴史的知識と文化的な体験を提供しています。また、一般公開されていることで、建物の魅力を多くの人々が楽しむことができ、附属棟の喫茶コーナーも含め、訪れる価値のあるスポットとなっています。横浜を訪れた際には、ぜひこの外交官の家に足を運び、その歴史と美しさを堪能してみてください。

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名称
外交官の家(旧内田家住宅)
(がいこうかん いえ きゅう うちだけ じゅうたく)

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