横浜みなとみらい21は、神奈川県横浜市の西区と中区にまたがり、横浜港に面したウォーターフロントの再開発地域です。1983年度から現在に至るまで、計画的な整備が進められている都市開発プロジェクトであり、その都市景観は高く評価され、都市景観100選にも選ばれています。一般的には「みなとみらい」や「MM21」といった略称でも知られています。
1989年に開催された横浜博覧会 (YES'89) を契機に、みなとみらい21の開発は本格化しました。この地域は、東京都心の集中を緩和し、首都圏の新しい経済拠点としての役割を担うことを目指して整備されてきました。みなとみらい21は、さいたま新都心や幕張新都心と並ぶ首都圏の新都心として、重要な位置を占めています。また、この地域全体は横浜市における都心の一つである「横浜都心」に指定されています。
みなとみらい21の開発以前、この地域には三菱重工業横浜造船所や国鉄高島線の東横浜駅・高島ヤード(操車場)、高島埠頭、新港埠頭などの広大な港湾施設が広がっていました。これらの施設は、一般の観光客が気軽に立ち寄ることができる場所ではなく、横浜駅周辺の繁華街と関内地区との間が分断された状態が続いていました。
1963年に横浜市長に当選した飛鳥田一雄氏は、関東大震災、昭和恐慌、太平洋戦争による横浜大空襲、GHQ占領と市内都心部の接収、人口急増によるスプロール現象といった「横浜の五重苦」と呼ばれる問題を克服することを目指しました。そして1965年に横浜市六大事業が提案され、その中で横浜都心部の一体化を目指す「都心部強化事業」としてみなとみらい21の再開発計画が策定されました。
横浜市は首都圏で最も人口が多い自治体でありながら、東京の衛星都市・ベッドタウンとしての側面が強く、昼夜間人口比率が常に100を下回る傾向にありました。こうした状況を改善するため、みなとみらい21の開発は横浜市内経済の活性化を目指し、企業法人本社機能や研究開発施設の誘致を進めました。日産自動車や京浜急行電鉄、富士フイルム、ソニー、資生堂などの大企業がこの地域に本社や研究施設を移転し、横浜市のオフィスビル開発と就業人口の増加に大きく貢献しました。
みなとみらい21の都市開発は「21世紀にふさわしい未来型都市」を目指して進められており、中央地区、新港地区、横浜駅東口地区などに分かれて計画的に整備されています。開発区域全体の面積は約1.86平方キロメートルで、そのうち埋め立て地が約0.76平方キロメートルを占めています。
都市開発のデザイン面では、横浜ランドマークタワーを中心に、建物の高さが段階的に低くなるスカイラインが形成されています。また、災害対策として地下給水タンクや液状化対策が施され、さらに省エネにも配慮した共同溝や地域冷暖房システムが導入されています。これにより、都市全体が持続可能で災害に強い街づくりが行われています。
みなとみらい21の公共交通機関は、2004年に開業した横浜高速鉄道みなとみらい線があり、地域内に新高島駅とみなとみらい駅が設置されています。さらに、2020年には横浜市が運行する連節バス「ベイサイドブルー」が運行開始され、地域内のアクセスがより便利になりました。また、LRTやロープウェイといった次世代型交通システムの導入も検討されています。
当初、みなとみらい21の開発は2000年頃までに完成する予定でしたが、バブル崩壊の影響などで計画は延期されました。近年では、横浜市長や神奈川県知事の企業誘致活動が奏功し、上場企業の本社機能や研究開発拠点が次々とこの地域に移転しています。2010年代半ば以降は、研究開発施設や音楽施設の集積も進み、横浜市の経済活動の中心としての役割がさらに強化されています。
2020年には新展示場「横浜みなとみらい国際コンベンションセンター」が完成し、国際会議の誘致などMICE市場に注力しています。また、新港地区には新たな客船ターミナル複合施設「横浜ハンマーヘッド」が整備され、クルーズ客船の誘致も積極的に行われています。
2024年4月時点での事業進捗率は約98.6%に達しており、暫定利用施設を除く本格利用が決定している土地の割合は約93.4%です。今後も開発事業者の公募を継続し、横浜市の指定地域における環境アセスメントの緩和などにより、柔軟な開発条件を提供していく予定です。みなとみらい21は、これからも横浜市の都市機能を強化し、経済的な発展を支える重要な地域であり続けるでしょう。