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補陀洛山 西方寺

(ふだらくさん さいほうじ)

西方寺は、神奈川県横浜市港北区新羽町に位置する真言宗の寺院です。横浜七福神巡りの中で恵比寿を祀る寺院としても知られており、また「子年観音霊場」(旧小机領三十三所観音霊場)第十五番札所、および「武相不動尊二十八所」第九番札所としても信仰を集めています。

歴史

西方寺は、建久5年(1190年)に東大寺の別当であった勝賢僧正によって、現在の鎌倉市笹目ヶ谷に創建されました。その後、極楽寺の創建とともに近隣の地に移転されましたが、鎌倉時代の終焉とともに極楽寺の寺勢が衰退し、明応4年(1495年)には現在の横浜市新羽の地に移転し、今日に至っています。

境内

本堂

西方寺の本堂は、横浜市指定有形文化財であり、平成の大修理によって屋根が茅葺きに復元され、江戸時代の創建当初の姿が蘇りました。内陣は四方桝組みで、折り上げ格天井には四季折々の草花の絵が描かれ、内陣と外陣の境には見事な彫刻が施されています。この本堂は、全体として優美で格調高い建築物であり、徳川幕府との深い関係も示されています。

鐘楼堂

鐘楼堂もまた横浜市指定文化財であり、新編武蔵風土記稿に「鐘楼ハ観音堂ノ前ニアリ」と記述されています。鐘楼は宝永五年(1708年)に二十五世祐算法印によって建立されたものと考えられています。当時の梵鐘は戦時中に供出されてしまいましたが、現在の梵鐘は昭和五十年(1975年)に再鋳されたものです。鐘楼は本堂よりも少し前に創建されたもので、簡素ながらも趣のある建物です。

山門

山門は、江戸時代後期の弘化年間(1844〜1847年)に建てられたもので、四脚門の形式を持つ横浜市指定有形文化財です。茅葺き屋根のこの門は、現在も風情を保ち続けています。

客殿

西方寺の客殿は、お客様を迎えるための建物であり、ご法事の際の控え室として使用されています。広々とした玄関を備え、大広間では60名が椅子席で収容可能です。

観音堂

観音堂には、西方寺が移転する以前からこの地を守ってきた十一面観音菩薩が祀られています。この観音様は、上杉家夫人の安産祈願の仏としても信仰され、「子宝安産」「治水」の仏様としてこの地を守護してきました。観音堂は江戸時代に現在の場所に移され、昭和の時代に再建されました。彫刻彩色された欄間が創建当初のものと思われます。

文化財

国指定重要文化財

西方寺は奈良時代の「注大般涅槃経」という重要文化財を所蔵しています。この経典は日本の仏教史においても非常に貴重なものです。

県指定有形文化財

西方寺の本尊である阿弥陀如来坐像は平安時代後期の作で、県指定重要文化財に指定されています。この仏像は、仏教美術の一つの頂点を示す作品であり、長年にわたって信仰の対象となってきました。

横浜市指定有形文化財

西方寺の本堂、鐘楼、山門、十一面観音菩薩立像は、それぞれ横浜市指定有形文化財に指定されています。特に本堂は江戸時代の享保六年(1721年)に創建され、その後の大修理によって茅葺き屋根に復元されました。本堂には、狩野派による「四季花鳥図」や「雲中供養仏画」が描かれた杉戸があり、これらも市指定文化財として保存されています。

西方寺の境内は、歴史と文化が息づく場所であり、訪れる人々に深い感動を与えています。歴史的な建造物と共に、安産祈願や観音信仰が今もなお篤く守られているこの寺院は、地域の人々にとって重要な存在であり続けています。

Information

名称
補陀洛山 西方寺
(ふだらくさん さいほうじ)

新横浜・横浜市北部

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