こどもの国は、神奈川県横浜市青葉区奈良町と東京都町田市三輪町にまたがる広大な敷地に位置する、社会福祉法人こどもの国協会が運営する総合的な児童厚生施設です。この施設は、子どもたちが自然の中で心豊かに育つことを目的として設立され、1965年5月5日の「こどもの日」に開園しました。
こどもの国は、児童福祉と情操教育を目的とした施設であり、自然の中での冒険や動物との触れ合い、手作り体験など、素朴な遊びを重視しています。そのため、園内には多くの施設が設置されていますが、大型の電動遊具は少なく、太陽光発電で動くミニSLや足漕ぎコースターがある程度です。
園内には牧場があり、ここで飼育されている乳牛から搾られた牛乳を使用したソフトクリームや特別牛乳「サングリーン」が名物となっています。この牧場は、雪印メグミルクの関連会社である「株式会社雪印こどもの国牧場」が管理運営しています。
戦時中、この地域には日本軍最大規模の弾薬製造貯蔵施設である「田奈弾薬庫」が設置されていました。終戦後は米軍に接収され「田奈弾薬庫」として利用されましたが、1959年の皇太子明仁親王(後の天皇)の成婚と1960年の浩宮徳仁親王の誕生を記念して、跡地が返還されると、国費や民間からの寄付によってこどもの国が整備されました。
施設の開園当初は国営で、横浜市が維持管理を担当しましたが、1966年に「こどもの国協会法」に基づき、こどもの国協会が設立され、1981年に社会福祉法人へと移行しました。これにより、国有地である公園の管理は社会福祉法人こどもの国協会に引き継がれました。
開園当初、来園者の交通手段は主に国鉄横浜線長津田駅や小田急小田原線鶴川駅からのバス輸送や自家用車が中心でした。しかし、1967年4月28日に田奈弾薬庫の引込線跡を利用し、長津田駅とこどもの国駅を結ぶ「こどもの国線」が開業しました。この鉄道はこどもの国協会が所有し、東京急行電鉄が運営を行っていましたが、1997年に横浜高速鉄道へ譲渡されました。
こどもの国のシンボルマークは、建設工事中の1962年に朝日新聞紙上で日本全国の子どもを対象に公募されました。選ばれたデザインは、中学2年生の女生徒による作品で、五輪旗に着想を得たデザインです。こびとが仲良く歌い踊る様子を、おとぎの国のこびとの三角帽子を組み合わせた5色の風車として表現されています。
こどもの国には、かつての田奈弾薬庫の遺構が一部残されています。これらの遺構は、電気設備などの園内施設に転用されており、普段は立ち入りが禁止されていますが、開園記念行事などの際に一般公開されることがあります。
1944年からは、学徒動員により神奈川県立横浜第二中学校と神奈川高等女学校の生徒たちが、この弾薬庫で「填薬」作業に従事していました。また、学徒動員中にトラック事故や爆発事故が発生し、複数の生徒や軍属が命を落としています。
こどもの国は、近隣の学校行事にも広く利用されています。遠足やマラソン大会、デイキャンプなど、様々な教育活動の場として活用されています。また、5月5日の「こどもの日」には、中学生以下の子どもたちの入園料が無料になる特典もあります。
こどもの国は、子どもたちが自然の中でのびのびと遊び、学ぶことができる貴重な施設です。長い歴史の中で様々な変遷を遂げてきたこの施設は、今も多くの家族や学校から愛され、訪れる人々に素晴らしい体験を提供し続けています。