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伊勢山皇大神宮

(いせやま こうたい じんぐう)

伊勢山皇大神宮は、神奈川県横浜市西区宮崎町に位置する神社であり、天照皇大神を祭神として祀っています。この神社は桜の花を社紋とし、横浜の地域では「皇大神宮(こうたいじんぐう)」と呼ばれることもあります。旧社格は官幣国幣社等外別格であり、その後、県社に格上げされました。また、神社本庁に属する神社の中で初めて破産宣告を受けたことでも知られています。

歴史的背景と創建

神社の創建とその背景

伊勢山皇大神宮の創建は明治3年(1870年)に遡ります。当時、一寒村に過ぎなかった横浜が開港場として急速に発展し、貿易の街へと変貌を遂げる中で、神奈川県はキリスト教などの外来文化と対峙する横浜の精神的支柱を確立するため、神社信仰の強化が必要と考えました。その結果、武蔵国の国司が勅命によって伊勢神宮から勧請したとされる、戸部村海岸伊勢の森の山上にあった神明社を現在地の野毛山に遷座し、横浜の総鎮守としました。

伊勢山碑に記された地の選定理由

この地が選ばれた理由について、1874年(明治7年)に建立された伊勢山碑には次のように記されています。「諸外国の商館が賑わうさまや、我が国の船の高い帆柱が湾内に林立する様子が手に取るように見える。かかる文明開化の時に際してこの場所を整備し神霊を祀れば、神もこの誠意をお受け下さることと思う。」

伊勢山の丘と神社の周辺

野毛山から伊勢山へ

伊勢山皇大神宮が鎮座する丘は、かつては「野毛山」と呼ばれていましたが、遷座の際に「伊勢山」と改称されました。現在、地名としては「伊勢町」という名称が残っていますが、「伊勢山」という地名は消滅しています。かつて、麓の宮崎町や花咲町は海であり、野毛町は野毛浦と呼ばれる入り江でした。これらの地域の埋め立ては、幕末の開港以来急速に進められました。

伊勢山貝塚と縄文遺跡

神宮の境内には「伊勢山貝塚」と呼ばれる遺跡があり、縄文後期の土器が出土しています。また、この丘一帯では紅葉ヶ丘や老松町で縄文期の住居跡も発見されており、現在の横浜中心部が江戸前期に埋め立てられた吉田新田にあたることから、丘一帯が最古の居住地域の一つであると考えられています。

横浜の開港と神奈川奉行所

開港直後の横浜と神奈川奉行所

横浜が開港直後の安政6年(1859年)には、この丘に神奈川奉行所が設置されました。開港場と外国人居留地を一望できる位置にあり、また港を挟んで反対側にある山手の丘には、居留民保護を名目としたイギリス・フランスの軍隊が駐留していたため、その監視が可能でした。この地が奉行所の設置場所として選ばれたのは、これらの防衛上の理由によるものです。

横浜道と防衛の役割

吉田橋関門と東海道を結ぶ街道である横浜道は、この丘に切通し(野毛切通し)を作り、奉行所の横を通るように開通しました。この道は現在も横浜市主要地方道80号横浜駅根岸線の一部として、神宮本殿の裏を通っています。

明治時代の遷座祭

遷座祭の盛大な祭礼

明治3年(1870年)4月15日(旧暦)に執り行われた遷座祭では、神奈川県より前後を挟んだ5日間にわたり、市を挙げて盛大な祭礼が行われるよう布告されました。それに応じて、当時の横浜市域各町は人形山車や手古舞、踊りの引き屋台などを揃え、横浜中心部の本町、弁天通、馬車道一帯を練り歩き、その華やかさを競い合いました。県庁前には各国の公使や領事を招いた桟敷席が設けられ、東京からも多くの見物客が訪れたと記録されています。

横浜の遷座祭の費用とその意義

この盛大な祭礼の総費用は、県からの補助金5千両を含めて10万両とも15万両とも言われています。横浜を代表する料亭「富貴楼」の女将、富貴楼お倉からこの話を聞いた外務卿副島種臣は、「外務省の半年分の費用に匹敵する」と驚いたと伝えられています。また、当時の生糸商も、郷里への手紙で遷座祭の壮大さと賑わいについて触れ、「横浜が日本第一の町となったことを内外に示すことができた」と記しています。

遷座祭と市民意識の形成

このような大規模な祭礼が行われた背景には、急速な近代化の最前線に位置し、キリスト教などの外来文化や思想の流入によって価値観が急激に変動する中で、伊勢山皇大神宮が精神的な支柱となることが期待されていたことが挙げられます。また、神奈川県における神道国教化の拠点としての役割も想定されていました。この祭礼が、住民をまとめ上げ、市民意識を高める一助となったとされています。

横浜市民の誇りと遷座祭

「はまっこ」という横浜市民の自覚や意気込みは、この遷座祭に端を発しているとも言われています。なお、遷座の行われた4月14日(旧暦)は例祭日となり、毎年この日に大祭が執り行われることが定められましたが、1873年(明治6年)の太陽暦の採用により、例祭日は月遅れの5月15日となりました。この日は第二次世界大戦終結まで横浜市の祝日とされ、学校をはじめ官公庁や工場も休みとなっていました。

伊勢山離宮と明治天皇の行幸

伊勢山離宮の建設

明治天皇は、海軍の視察や根岸競馬場の天覧競馬などの理由で、横浜を頻繁に訪れていました。そのため、1875年(明治8年)に行幸の際の御座所となるべく、伊勢山皇大神宮に隣接して二階建ての洋館である横浜御用邸・伊勢山離宮が建設されました。

明治天皇の東北巡幸

1876年(明治9年)、明治天皇はこの離宮を拠点に、東北巡幸を行いました。また、1877年(明治10年)には、西南戦争に従軍する兵士を激励するため、伊勢山離宮にて2週間にわたって行幸されました。この離宮は、戦後の国鉄時代には分室として、皇族が利用していました。

伊勢山離宮の歴史とその後

戦後の混乱期には、連合国軍の接収を経て、神奈川県の迎賓館として使用された伊勢山離宮でしたが、老朽化のために昭和30年代に取り壊されました。その跡地は1960年代以降、伊勢山公園となり、現在では日本民藝館の分館として「横浜民藝館」が建設されています。

社殿と境内

本殿

本殿は茅葺の神明造で、2018年(平成30年)に創建150年を記念して、伊勢神宮から内宮(皇大神宮)の旧西宝殿が下げ渡され、伊勢にあった姿そのままに移築されました。伊勢神宮でも重要な社殿である西宝殿が、そのまま市街地に移築されることは非常に珍しく、また、茅葺屋根が市街地で再現されることが許可されたのも特例です。

摂末社

杵築宮(きづきのみや)

杵築宮では、大国主命を主神として、須佐之男命と住吉大神を祀っています。また、伊勢神宮外宮の祭神である豊受姫大神も合わせて奉遷されています。

子之大神(ねのおおかみ)

子之大神は野毛町の氏神であり、大国主命、少彦名命、そして姥姫を祀っています。元々は野毛の町内にありましたが、戦火で社殿を焼失したため、現在は杵築宮に合祀されています。姥姫は、かつて桜木町駅周辺の海上にあった「姥岩」に鎮座していた女神で、護良親王の乳母を祀ったものと伝えられています。

大神神社磐座(おおみわじんじゃいわくら)

大神神社磐座では、大物主大神を祀っています。この磐座は、奈良県の三輪明神大神神社からの分霊を受けて、1996年(平成8年)に鎮座しました。社殿ができる前の古代の祭祀場である「磐座」(いわくら)の姿が再現されています。

照四海(しょうしかい)

照四海は高さ約6メートルの常夜灯で、横浜港の守り神を象徴しています。現在のものは二代目で、初代は1882年(明治15年)に完成しました。初代は燈明台(初期の灯台)として実際に船の目印にされていました。

旧大鳥居台座

旧大鳥居台座は表参道に置かれた明治期の大鳥居の台座であり、1876年(明治9年)に横浜市の地図作成が行われた際に水準点として刻まれた印が残っています。

大遷御(だいせんぎょ)の図

屋内神殿である神楽殿の前室「遷御の間」には、伊勢神宮式年遷宮の「遷御」(20年ごとに行われる新しい神殿への御神体遷しの神事)の様子を描いた「大遷御の図」が飾られています。この作品は、神道画の大家・鳥居禮によるもので、高さ5メートル、幅18メートルという日本画史上最大級の作品です。

祭事・年中行事

例祭

例祭は毎年5月15日に本宮が行われ、宵宮、後宮と合わせて3日間にわたり開催されます。この祭りは明治3年の旧暦4月14日に神宮が創建されたことに由来しています。

大神神社磐座例祭

大神神社磐座例祭は毎年4月9日に行われる祭事です。

杵築宮・子之大神例祭

杵築宮・子之大神例祭は8月20日に行われる夏祭りで、隔年で氏子地域各町会の神輿7基が終結し、連合神輿渡御が行われます。

節分祭

節分祭は毎年2月3日に行われ、撒豆行事が行われます。

大祓(おおはらえ)

大祓は6月30日と12月31日に行われ、身に付いた罪や穢れを祓い清める神事です。特に6月の大祓は「夏越大祓」と呼ばれ、境内で大茅の輪潜りの神事が行われます。

神前結婚式

伊勢山皇大神宮では、1902年(明治35年)から神奈川県で最も早く神前結婚式を行い、その歴史は今も続いています。

崇敬会について

伊勢山皇大神宮は氏子区域を持たない崇敬神社であり、氏子会ではなく崇敬者による崇敬会が組織されています(かつては奉賛会と称しました)。明治天皇の皇女であり、第43代内閣総理大臣東久邇宮稔彦王の夫人である泰宮聡子内親王(東久邇聡子)がかつて総裁を務めていました。

伊勢山皇大神宮を舞台とした作品

横浜富貴楼お倉 明治の政治を動かした女(鳥居民著)

伊勢山皇大神宮の遷座祭の様子が描かれています。

東京の女性(映画)

1939年(昭和14年)公開のモノクロ映画で、主演は伝説的女優の原節子。クライマックスの挙式の場面が、伊勢山皇大神宮の拝殿前で撮影されました。

名もなく貧しく美しく(映画)

1961年(昭和36年)公開のモノクロ映画で、主演は高峰秀子。結婚式のシーンが伊勢山皇大神宮の境内で撮影されました。

世界一難しい恋(テレビドラマ)

横浜を舞台としたドラマで、第6話では主人公が伊勢山皇大神宮の勝守を手渡すシーンが登場します。

逃げるは恥だが役に立つ(テレビドラマ)

横浜を舞台にした人気ドラマ。第10話の日の出シーンは伊勢山皇大神宮の境内で撮影されました。

逃げるは恥だが役に立つ ガンバレ人類!新春スペシャル!!(テレビドラマ)

2021年(令和2年)に放送された特別編で、主人公たちの安産祈願シーンが伊勢山皇大神宮で撮影されました。

かぐや様は告らせたい(映画版)

人気漫画の劇場版で、劇中の花火大会のシーンは伊勢山皇大神宮の表参道大階段脇の広場で撮影されています。

Information

名称
伊勢山皇大神宮
(いせやま こうたい じんぐう)

横浜

神奈川県