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材木座海岸

(ざいもくざ かいがん)

材木座海岸は、神奈川県鎌倉市材木座に位置する美しい海岸です。この海岸は、滑川(なめりがわ)を境にして東側を「材木座海岸」、西側を「由比ヶ浜」と呼びます。東端からは藤沢市の江の島が見え、四季折々の風景が楽しめるスポットとして親しまれています。

歴史と由来

材木座海岸は、明治時代に海水浴場として開かれました。その後、夏目漱石の小説『こころ』に描かれたことで広く知られるようになりました。また、源実朝が宋(中国)に渡る計画を立て、大きな船を完成させたものの、遠浅のため進水できなかったという伝説も残っています。

「材木座」という名称は、鎌倉時代に存在した鎌倉七座(米座、相物座、博労座、炭座、材木座、絹座、千朶積座)と呼ばれる商工組合に由来します。江戸時代には、材木座村と内陸側の乱橋(みだればし)村に分かれていましたが、後に合併し大字「乱橋材木座」となりました。この地域が住居表示に伴い、材木座一丁目から六丁目に分かれたのです。

材木座海岸の命名権

2013年、鎌倉市は材木座海岸の命名権を売りに出しました。この命名権は、『鳩サブレー』で知られる地元の菓子店・豊島屋が10年契約で購入しましたが、「親しんだ名を変えたくなかった」との理由で名称変更は行わず、従来の「材木座海岸」という名称が維持されました。

材木座遺跡

1953年に、鶴岡八幡宮の一の鳥居と海岸の間で滑川を挟んだ東側に位置する「材木座遺跡」が発掘調査されました。この遺跡からは約650体の人骨と、大量の馬や犬の骨が出土しました。

この遺跡は鎌倉時代末期の14世紀前半に形成されたと考えられています。調査を行った鈴木尚は、これらの人骨に残された殺傷痕から、新田義貞の鎌倉攻めによる戦死者であると推定しました。出土した人骨は、現在東京大学総合研究博物館に所蔵されています。

馬の骨の大半は軍馬と見られており、四肢骨の最大長から体高は平均で129.5センチメートルで、日本在来馬の中型馬に相当し、小型馬も含まれていたと推定されています。

材木座地域の史跡

材木座の地名と由来

材木座(ざいもくざ)は、神奈川県鎌倉市の南東部に位置する地名です。西には滑川を挟んで由比ヶ浜、北西の一部で御成町、北に大町、東に逗子市小坪と接し、南は材木座海岸で相模湾に面しています。地名の由来は鎌倉時代に存在した商工組合「鎌倉七座」の一つである材木座に由来します。

江戸時代には、材木座村と内陸側の乱橋村に分かれていましたが、後に合併し大字「乱橋材木座」となりました。そして、住居表示に伴い材木座一丁目から六丁目に分かれることとなりました。

町営海水浴場の開設

1915年(大正4年)7月15日、材木座海岸には町営海水浴場が開設されました。この海水浴場は、現在でも多くの観光客が訪れ、夏の鎌倉の風物詩となっています。

Information

名称
材木座海岸
(ざいもくざ かいがん)

鎌倉

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