段葛は、神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮の参道、若宮大路の中でも特に二の鳥居から鶴岡八幡宮までの車道より一段高い歩道を指します。この歩道の終着点には三の鳥居があり、そこから鶴岡八幡宮の境内へと続いています。段葛は神奈川県指定史跡であり、若宮大路の一部は国の史跡にも指定されています。なお、段葛は鶴岡八幡宮の境内の一部とされており、実質的には神社の私道と見なされています。
段葛は若宮大路の中央に位置し、幅9メートル(約5間)、高さ45センチメートル(約1尺5寸)の他の道路には見られない特異な構造を持っています。両側は石を重ねて押さえられており、これが独特の景観を形成しています。鎌倉時代に初めて作られたとされていますが、現在の段葛は近世に入ってから何度も改修が行われた結果のものです。
かつては一の鳥居からの参道でしたが、横須賀線の建設に伴い、一の鳥居から二の鳥居の間が撤去されました。歴史的には、徳川家綱が1668年(寛文8年)に寄進した各大鳥居は白い石造りでしたが、1923年(大正12年)の関東大震災で崩落してしまいました。その後、1936年(昭和11年)に再建された一の鳥居以外は新しい朱塗りの鉄筋コンクリート製となっています。
また、段葛の方向は正確には南北ではなく、東へ約27度ずれており、鶴岡八幡宮から北方向へ線を伸ばすと、源頼朝が戦勝祈願を行った江戸の浅草寺へと到達します。このような配慮は、後の徳川家康が久能山東照宮から富士山頂への線を北へ伸ばし、日光東照宮へと繋がる設計にも見られるものです。
段葛は元々「作道」と呼ばれており、鎌倉時代には源頼朝などの武将たちが鎌倉に住むにつれて、山を削り平地を増やすための造成が行われました。しかし、その結果、山の保水力が低下し、雨が降るたびに若宮大路がぬかるんでしまい、通行が困難になりました。この問題を解決するために、道を一段高くしたものが段葛です。低湿地に石を置いて整備されたことから「置道」とも呼ばれ、特定の高貴な人々のための通路と考えられていました。
段葛に樹木が植えられたのは明治中期以降であり、それ以前の写真には植樹が見られません。1917年(大正6年)の改修工事以前には、桜ではなく梅や松が植えられていたとされています。桜の木が初めて植えられたのは1913年(大正2年)で、国と県から植樹許可が下り、158本の桜が植えられました。
戦前、二の鳥居前には青銅製の狛犬がありましたが、戦時中に供出され、長年台座だけが残っていました。戦後、1961年(昭和36年)にコンクリート製の狛犬が奉納されています。また、戦後の1961年から1962年にかけて段葛の改修工事が行われ、左右の土手に初めて石積みが施され、灯籠も石製に統一されました。
平成に入った2014年(平成26年)10月から、段葛は再び大規模な改修工事が行われ、2016年(平成28年)3月に完成しました。この改修工事では、路面の舗装が行われ、以前は土が剥き出しだった部分も舗装されました。また、老木化した桜は全て新しく植え替えられ、植え込みのつつじは取り除かれ、石灯籠も一新されています。さらに、花見時期や祭りの際に使用されていた提灯による電飾は廃止され、地面下に収容可能な隠蔽式の旗竿が設置されるのみとなりました。
段葛は桜の名所として知られ、春になると多くの花見客が訪れます。段葛脇の若宮大路で人力車に乗りながら桜を楽しむこともでき、風情ある景観が広がります。
現在の段葛は、鶴岡八幡宮の参道として多くの観光客や地元の人々に親しまれています。桜の季節には特に美しく、春の訪れを告げる風物詩となっています。また、段葛の構造や配置には歴史的な意味が込められており、鎌倉の文化と歴史を感じることができる場所でもあります。平成の改修によって整備された段葛は、未来に向けてその姿を保ち続けることでしょう。