建長寺は、神奈川県鎌倉市山ノ内に位置する禅宗寺院であり、臨済宗建長寺派の大本山です。正式名称は「巨福山 建長興国禅寺(こふくさん けんちょうこうこくぜんじ)」と呼ばれています。この寺は鎌倉時代の建長5年(1253年)に創建され、鎌倉五山の第一位として歴史的な価値を持っています。本尊は地蔵菩薩であり、開基は鎌倉幕府第5代執権の北条時頼、開山は南宋の禅僧・蘭渓道隆です。現在、建長寺の境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定されています。
建長寺の創建は、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼によって行われました。建長5年(1253年)に落慶供養が営まれ、開山(初代住職)には南宋から渡来した僧・蘭渓道隆(大覚禅師)が任命されました。当時の日本は、承久の乱(1221年)を経て北条氏の権力が強化され、政治的にも鎌倉が実質的な首府となっていた時代でした。北条時頼は熱心な仏教信者であり、特に禅宗に深く帰依していました。
鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』によれば、建長寺の造営は建長3年(1251年)から始まり、同5年(1253年)に完成しました。異説として、建長元年(1249年)から造営が準備されていたとも言われますが、いずれにせよ、鎌倉の北の出入口を守る要衝の地に位置するこの寺は、北条氏の本拠地でもありました。建長寺が建てられた谷(鎌倉では「やつ」と読む)は、もともと「地獄ヶ谷」と呼ばれる処刑場であり、地蔵菩薩を本尊とする伽羅陀山心平寺が建っていた場所でした。このため、建長寺の本尊が地蔵菩薩であるのは、こうした因縁によるものです。
蘭渓道隆は中国・宋末の禅僧であり、寛元4年(1246年)に33歳で来日しました。彼はまず筑前国博多に到着し、その後京都に滞在した後、宝治2年(1248年)に鎌倉に入りました。建長寺の創建前には常楽寺(現存)に住していました。当時の日本には、建仁寺(京都)や寿福寺(鎌倉)などの禅宗系寺院がありましたが、建長寺はその中でも純粋な禅の道場として知られています。
建長寺は正応6年(1293年)の鎌倉大地震で大きな被害を受けましたが、元から来日した一山一寧が第十世として再建に尽力しました。しかし、その後も正和4年(1315年)、応永23年(1416年)などに火災で創建当初の建物は失われました。鎌倉時代末期には、幕府公認で元へ貿易船「建長寺船」が派遣され、修復費用が得られました。江戸時代には徳川家の援助により主要な建物が再建されましたが、1923年の関東大震災でも大きな被害を受けています。
創建当時の建物は失われたものの、建長寺の伽藍配置は総門・山門・仏殿・法堂・方丈が一直線に並ぶ中国式の配置が特徴です。これにより、建長寺は創建当初の面影を今もなお残しています。以下に、建長寺の主要な建物について詳述します。
総門は天明3年(1783年)に建立され、1940年に京都の般舟三昧院から移築されました。門に掲げられた「巨福山」の額は、建長寺第10世住持で書の名手であった一山一寧の筆と伝えられています。この門は、建長寺の象徴的な存在として多くの参拝者を迎え入れています。
山門は安永4年(1775年)に上棟され、2005年に重要文化財に指定されました。この門は三間一戸の二重門であり、上層には宝冠釈迦如来像や五百羅漢像が安置されています。関東大震災では一部が損傷しましたが、主要な部分は無事であり、その豪壮な姿を今に伝えています。
仏殿は重要文化財に指定されており、寄棟造の建物で単層裳階が付いています。もともとは芝(東京都港区)の増上寺にあった徳川秀忠夫人の霊屋を譲り受け、正保4年(1647年)に建長寺に移築されました。仏殿の本尊は地蔵菩薩坐像であり、堂内にはその他にも千体地蔵菩薩立像や千手観音坐像が安置されています。
法堂は禅宗寺院における講堂に相当する建物で、文化11年(1814年)に上棟、文政8年(1825年)に竣工しました。内部には高さ2メートルを超える法座が設けられ、その奥には本尊千手観音坐像が安置されています。天井には日本画家・小泉淳作の筆による雲龍図が掲げられており、これは鎌倉最大級の木造建築の一つとして重要文化財に指定されています。
唐門は方丈の入口に位置する門であり、仏殿と同様に徳川秀忠夫人の霊屋から移築されたものです。関東大震災後の大修理が2011年5月に終了し、移築当時の姿が再現されました。この門もまた重要文化財に指定されています。
建長寺の鎮守である半僧坊は、境内の最奥に位置し、山の中腹にあります。半僧坊権現は1890年に静岡県の方広寺から勧請された神で、火除けや招福に利益があるとされています。半僧坊へ上る石段の途中には天狗の像が立ち並び、参拝者を迎えています。
建長寺には最盛期には49か院の塔頭がありましたが、現在は12か院が残っています。これらの塔頭の中で常時公開されているのは円応寺(新居閻魔堂)のみで、他の塔頭は時期を限って公開されるか、原則非公開となっています。
西来庵は開山・蘭渓道隆を祀る塔頭で、蘭渓道隆が写経を行ったとされる文書や肖像画が伝えられています。建長寺創建当初の雰囲気を感じることができる場所です。
妙高院は、建長寺で最も格式の高い塔頭であり、建長寺を訪れる天皇や皇族のための宿泊所としても利用されています。庭園は室町時代の様式を今に伝え、美しい四季折々の風景を楽しむことができます。
また、建長寺の南側には、瑞泉寺や円覚寺といった他の歴史的寺院が点在しており、これらも合わせて訪れることで、鎌倉の豊かな禅文化をより深く味わうことができます。建長寺は、その壮大な建築と歴史的背景から、多くの観光客や歴史愛好者にとって必見の場所です。