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龍護山 満福寺

(りゅうごさん まんぷくじ)

満福寺は、神奈川県鎌倉市腰越にある真言宗大覚寺派の寺院です。この寺院は、江ノ島電鉄の腰越駅から海岸側に約250メートル行った場所にあり、踏切を渡った先に位置しています。

寺院の由来

奈良時代、関東地方に悪性の疫病が蔓延していた際、聖武天皇の命を受けた行基が鎌倉に訪れました。行基が祈りを捧げたこの場所は、前に広がる美しい海原と後ろに連なる山々が特徴的です。その祈りの力によって疫病が沈静化したと伝えられ、功徳を称えてこの地に寺を建立することになりました。

源義経との関わり

1185年(元暦2年)、平家を滅ぼして凱旋した源義経は、兄である頼朝の命令に従わなかったため、鎌倉入りを拒まれました。義経は頼朝の怒りを解こうと努めましたが、許されず、逆に追われる身となりました。この出来事は、満福寺が歴史的に重要な場所であることを示しています。

満福寺の歴史

行基による開山

満福寺は、天平16年(744年)に行基によって開山されたとされています。行基はこの地で疫病の鎮静化を祈り、その祈りが叶ったことで寺院の建立が決まりました。

源義経と腰越状

元暦2年(1185年)の5月、源義経は兄頼朝の怒りを買い、鎌倉入りを許されずに腰越に留められました。この際、義経は頼朝に自らの心情を訴える「腰越状」をこの寺で書いたとされています。寺には、弁慶が書いたとされる腰越状の下書きが展示されており、これが寺院の歴史的な意義を高めています。

弁慶ゆかりの品々

満福寺の境内には、義経とともに戦った弁慶に関連する品々が多数展示されています。例えば、弁慶が腰掛けたと伝えられる「腰掛け石」や、「手玉石」といった遺品が見られます。これらの展示物は、寺を訪れる人々にとって非常に興味深いものとなっています。

満福寺の境内と霊園

本堂と霊園

満福寺の境内には、本堂と霊園があります。境内の脇にはトンネルが掘られており、このトンネルを進んでいくと七里ヶ浜霊園にたどり着きます。霊園は傾斜地にあるため、墓参用にモノライダー(モノレール)が設置されており、訪れる人々の便を図っています。

霊園の特徴

七里ヶ浜霊園は、斜面を利用した立地が特徴で、海を望む美しい景観が広がります。モノライダーを利用することで、霊園内の移動が容易になっており、参拝者にとっても安心して利用できる環境が整えられています。

寺院の静かな雰囲気

満福寺は、歴史的な背景と自然の美しさが調和した寺院であり、訪れる人々に静かなひとときを提供しています。義経や弁慶にゆかりのある寺院として、多くの参拝者や歴史愛好者が訪れる場所となっています。

Information

名称
龍護山 満福寺
(りゅうごさん まんぷくじ)

鎌倉

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