浄妙寺は、神奈川県鎌倉市浄明寺に位置する臨済宗建長寺派の仏教寺院です。正式名称は「稲荷山 浄妙広利禅寺」(とうかさん じょうみょうこうりぜんじ)であり、本尊は釈迦如来です。この寺院は、鎌倉五山の第五位に位置し、また鎌倉三十三観音第九番札所でもあります。開基は足利義兼、初代住持は退耕行勇であり、長い歴史を持つ寺院です。
浄妙寺の創建は文治4年(1188年)に遡ります。当初は「極楽寺」という密教(真言宗)の寺院として建立され、開基は足利義兼、開山は退耕行勇でした。しかし、その後、建長寺開山である蘭渓道隆の弟子である月峯了然が住職となり、寺は禅宗に改められ、寺名も足利貞氏の法名にちなんで「浄妙寺」と改称されました。この改名は正嘉年間(1257〜1259年頃)に行われたと考えられています。
浄妙寺は鎌倉時代には鎌倉五山の第五位に指定され、最盛期には23箇院もの塔頭を有する大寺院でした。しかし、その後、度重なる火災や戦乱によって寺勢は衰微しました。特に、正平6年(1351年)には足利直義が幽閉され、翌年急死するなどの歴史的な出来事がありました。さらに、応永31年(1424年)と永享10年(1438年)には大火災に見舞われ、そのたびに復興を余儀なくされました。
浄妙寺の総門をくぐると、まず目に入るのが本堂です。この本堂は寄棟造で銅板葺き、平面は方丈形式の六間取りを採用しています。江戸時代中期に建てられた建物ですが、仏壇周辺などには室町時代の材が使用されており、歴史的価値が高い建築物です。
喜泉庵は天正年間(1573 - 1591年)に建立された茶室で、1991年(平成3年)に復興されました。この茶室は枯山水庭園を備えており、訪れる人々に静寂と癒しを提供します。また、有料で茶菓のサービスも行われており、日本の伝統文化を体験できる場所となっています。
寺の裏山である稲荷山には、藤原鎌足が子孫のために「霊鎌」を埋めたという伝承があり、これが「鎌倉」の地名の由来の一つとされています。この山には鎌足稲荷神社の小祠があり、参拝者を迎えています。また、本寂堂には、浄妙寺鎮護の神である三宝荒神像と不動像が安置されており、これらは足利義兼が発願し北条政子が造らせたと伝えられています。
浄妙寺には、多くの重要文化財や史跡があります。特に「木造退耕禅師坐像」は、1942年(昭和17年)に重要文化財に指定されており、鎌倉時代の頂相彫刻の優品とされています。また、1966年(昭和41年)には浄妙寺境内が国の史跡に指定されており、鎌倉の歴史を物語る貴重な場所となっています。
さらに、浄妙寺には他にも多くの文化財があり、木造阿弥陀如来立像や木造荒神立像、木造釈迦如来坐像などが神奈川県や鎌倉市の指定文化財となっています。また、紙本淡彩地蔵菩薩像や浄妙寺文書も貴重な資料として保存されています。
浄妙寺の周辺には、室町時代に足利公方屋敷があったとされる跡地や、大休寺跡、延福寺跡などの歴史的な場所があります。また、映画「山の音」(原作川端康成)でも描かれた「稲荷小路」や「報国寺」も近くにあり、浄妙寺を訪れる際にはこれらの場所も併せて訪れると、より深い鎌倉の歴史を感じることができるでしょう。
浄妙寺境内に隣接する「石窯ガーデンテラス」は、イングリッシュガーデンを備えたレストランです。この建物は、1922年(大正11年)に貴族院議員であった犬塚勝太郎氏の自宅としてドイツ人建築家によって建てられた洋館であり、現在は浄妙寺の所有となっています。境内の美しい自然とともに、歴史的な建築物も楽しむことができます。
浄妙寺は神奈川県鎌倉市浄明寺3丁目8番31号に位置しており、鎌倉駅から京急バスで金沢八景や太刀洗方面行きに乗車し「浄明寺」で下車すると、徒歩数分で到着します。拝観は有料であり、仏像の拝観は事前予約が必要ですので、訪問前には確認をお勧めします。