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長興山のシダレザクラ

(ちょうこうざん)

長興山のシダレザクラは、神奈川県小田原市入生田(いりうだ)地区に生育するシダレザクラの巨木で、地域の歴史とともに深い結びつきを持つ樹木です。この桜は、かつて小田原藩主稲葉氏の菩提寺であった紹太寺の敷地内に植えられたもので、樹齢300年以上と推定されています。度重なる火災により、紹太寺の大伽藍は失われましたが、このシダレザクラと360段に及ぶ石段などが今日まで残されています。

長興山のシダレザクラの概要

長興山のシダレザクラは、名木として広く知られ、小田原市指定天然記念物や「かながわ名木100選」に選定されています。この桜の木は、見事な枝振りと美しい花で、多くの人々を魅了してきました。毎年春になると、シダレザクラは満開を迎え、訪れる人々を楽しませています。

所在地とアクセス

長興山のシダレザクラは、神奈川県小田原市入生田303に位置しています。訪れる際は、箱根登山鉄道の入生田駅から徒歩約20分の距離にあります。シダレザクラは、箱根登山鉄道の入生田駅を降りて、登り勾配の道を15分から20分ほど歩いた先にあります。この桜の巨木が視界に入ると、その存在感に圧倒されることでしょう。

歴史と由来

紹太寺の創建と桜の植栽

このシダレザクラが生育する場所には、かつて黄檗宗に属する紹太寺という寺院がありました。紹太寺は、江戸時代初期に小田原藩主を務めた稲葉氏一族の菩提寺として建立され、創建当初は小田原城の城下町、東海道筋の山角町に位置していました。1669年(寛文9年)、小田原藩第2代藩主であった稲葉正則が、寺を現在の入生田の地に移転させました。

紹太寺の開山は、隠元禅師のもとで修行に励んだ鉄牛道機という僧侶で、移転後の寺院は広大な敷地を持ち、壮大な七堂伽藍を備えていました。この桜の木は、移転後に庭園樹として植栽されたものと考えられています。

寺院の消失と桜の保存

しかし、紹太寺は安政年間(1854年 - 1860年)の火災により、ほとんどの伽藍を失いました。唯一残った総門も1915年(大正4年)に焼失し、現在ではシダレザクラと360段の石段、稲葉氏一族の墓8基、および開山鉄牛和尚の寿塔などが残されています。これらの文化財とともに、シダレザクラは、長年にわたり地域の歴史を静かに語り継いでいます。

シダレザクラの保護とクローン増殖

樹木の保護活動

長興山のシダレザクラは、その美しい姿が多くの人々に愛される一方で、樹齢の高さから樹勢の衰えが懸念されていました。1989年(平成元年)と1991年(平成3年)には、樹木医が枯れ枝の切除や根元の治療、支柱の設置などを行い、樹木の保護に努めました。しかし、それでも樹勢の衰えが完全に止まることはなく、さらなる保護策が求められていました。

クローン苗木の増殖と植栽

こうした状況を受けて、住友林業がクローン苗木の提供を申し出ました。2003年(平成15年)から始まったクローン苗木の増殖事業は、原木の樹齢の古さに起因する困難や培養液の調合に多くの苦労がありましたが、2009年(平成21年)に増殖が成功しました。現在、クローン苗木は小田原市内の「小田原こどもの森公園(わんぱくランド)」や紹太寺の境内に植栽され、次世代のシダレザクラとして育成されています。

現在のシダレザクラと訪問の見どころ

見ごろと訪問のタイミング

長興山のシダレザクラは、毎年3月下旬から4月上旬頃が見ごろです。この時期になると、満開の桜の花が見事に咲き誇り、多くの花見客で賑わいます。入生田駅からシダレザクラまでの道は、訪問客で行列ができるほどの人気を誇ります。この桜は、特に夕方や早朝に訪れると、静かな環境の中でその美しさを一層感じることができるでしょう。

保存の意義と未来

長興山のシダレザクラは、神奈川県内でも屈指の名木として評価されています。1957年(昭和32年)3月30日に小田原市の天然記念物に指定され、その後1984年(昭和59年)には「かながわ名木100選」にも選定されました。これらの評価は、桜の木が地域の歴史や文化に深く根ざした存在であることを証明しています。

長興山のシダレザクラは、単なる観光資源としてだけでなく、地域の歴史と文化を象徴する存在として、大切に守られ続けています。今後も、この桜が長く地域に愛され、次の世代に引き継がれていくことが期待されます。

Information

名称
長興山のシダレザクラ
(ちょうこうざん)

小田原

神奈川県