高来神社は、神奈川県中郡大磯町高麗(こま)に鎮座する歴史ある神社で、別名「高麗神社(こまじんじゃ)」とも呼ばれます。旧社格は郷社で、神社名は朝鮮半島にかつて存在した高句麗からの渡来人に由来すると言われています。
高来神社は、神奈川県大磯町に位置する神社で、その歴史は古代に遡ります。神社名は、一説によると、朝鮮半島にあった高句麗からの渡来人に由来しているとされています。高麗神社とも呼ばれ、その社格はかつて郷社に列せられていました。
高来神社の起源は中世の戦乱などにより多くの書物が焼失したため、詳細は不明ですが、神武天皇の時代に創建されたとの記録が残っています。かつては高麗山の山頂に上宮があり、「高麗権現社」と呼ばれていました。また、山の右峰には白山権現、左峰には毘沙門天を勧請し、「高麗三社権現」と称して信仰を集めていました。
高句麗が新羅・唐連合軍によって滅ぼされた際、王族の若光を中心とする高麗人が相模国大磯に渡来しました。その後、若光一族を含む高麗人たちは、武蔵国高麗郡に集められ、高麗神社が設立されました。高来神社の例大祭である「御船祭」の木遣歌「権現丸」には、「高麗国守護」が渡来し、「大磯浦の守護」となったと伝えられています。
高来神社は古来より武門の信仰が篤い神社として知られています。鎌倉時代には、将軍源頼朝が正室である北条政子の安産祈願を行ったとされ、戦国時代には後北条氏がわずかな領地を寄進したという記録も残っています。
高来神社の祭神として祀られているのは、以下の四柱の神々です:
これらの神々は、創建当初から高来神社に祀られており、後に安閑天皇朝に神功皇后と応神天皇が合祀されました。また、養老元年(717年)には神仏習合の影響で、高来神社は高麗寺の別当の所管となり、明治時代には神仏分離令により再び独立した神社としての姿を取り戻しました。
高来神社の歴史を以下の年表でご紹介します:
高来神社では、年間を通じて様々な祭事が執り行われています。以下は主な祭事の一覧です:
高来神社へのアクセスは、JR東日本東海道本線の大磯駅から「平塚駅北口行き」バスに乗り、「化粧坂」または「花水」バス停で下車し、徒歩3分です。