深見神社は、神奈川県大和市深見に鎮座する歴史ある神社です。927年(延長5年)の『延喜式神名帳』には、相模国の延喜式内社十三社の一つ(小社)として記載されています。また、江戸時代の『新編相模国風土記稿』には「鹿島社」と記されています。
深見神社の祭神は次の三柱の神々です。
この神は、雨を司る神として信仰されています。2012年(平成24年)に境内社である御倉稲荷神社から本殿に合祀されました。
武運長久を祈願する神で、深見藩の領主であった坂本家が常陸国の鹿島神宮より勧請したとされています。この神が合祀された後、闇龗神は境内社の御倉稲荷神社に祀られました。
1909年(明治42年)に、深見に鎮座していた諏訪神社より合祀されました。以降、この三柱の神々が深見神社の祭神として祀られています。
深見神社の歴史は非常に古く、詳細な創建時期は不明ですが、『総国風土記』には「雄略天皇22年(478年)に創祭」と記されています。深見という地名は、承平年間(931年-938年)に編纂された『倭名類従抄』に「相模国高座郡深見郷」と記載されています。
1876年(明治9年)の火災で社殿や古文書が全て焼失しました。しかし、1909年(明治42年)に諏訪神社が合併され、新たな社殿が建てられました。さらに、1941年(昭和16年)には現在の場所に再建され、翌年には再び郷社に列せられました。
深見神社は、地元の人々を中心に信仰されてきました。源頼朝や小田原北条、武田信玄など、多くの歴史的な人物も信仰してきたと伝えられています。特に江戸時代の旗本であった坂本家は、深見神社を篤く信仰し、社殿の造営にも関わりました。
「鹿島社」という別称は、坂本家が鹿島神宮の祭神を深見神社に勧請したことに由来します。この時、闇龗神は御倉稲荷神社に合祀され、武甕槌神が主祭神となりました。
深見神社には、多くの文化財が残されています。
1791年(寛政3年)に建立された社号標は、大和市指定の重要有形文化財です。正面には「相模國十三座之内深見神社」と記されています。
深見神社の境内には、樹齢500年を超えるハルニレの御神木があります。この木は低地に育つことが珍しく、古くから「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれています。
深見神社へは、相鉄線および小田急線「大和駅」から東へ徒歩10〜15分ほどで到着します。
1988年(昭和63年)に行われた発掘調査により、奈良時代から平安時代にかけての竪穴建物跡や掘立柱建物跡が発見されました。これにより、深見神社周辺の歴史的な価値が再確認されています。
深見神社は、古くから地域の人々に愛され続けてきた神社です。歴史と伝統を感じることができるこの場所を訪れることで、古代から続く日本の文化と信仰に触れることができるでしょう。