海老名市温故館は、神奈川県海老名市に所在する海老名市立の郷土資料館です。ここでは、地域の歴史に関連する文献や土器、その他の貴重な資料が収集され、整理・保管されており、それらを一般に公開しています。
海老名市温故館は、地元の歴史や文化を後世に伝えるための重要な役割を果たしています。この施設では、以下のような展示が行われています。
1階では、考古学的な遺物や歴史資料が展示されています。具体的には、先土器時代(旧石器時代)から発見された石器や土器、相模国分寺に関連する資料など、地域の歴史を物語る貴重な遺物が見られます。
2階では、「衣・食・住」をテーマに、明治・大正・昭和の時代に海老名地域で使用されていた生活関連用具、農耕具、養蚕具、宗教資料などが展示されています。これにより、昔の人々の生活様式や文化を垣間見ることができます。
温故館は、その創設者である中山毎吉(なかやまつねきち)によって1921年(大正10年)に創設されました。中山は1868年(明治元年)に高座郡国分村(現在の海老名市)に生まれ、教育者としてのキャリアを歩む一方で、郷土の歴史研究にも深く関わっていました。
1918年(大正7年)、中山は相模国分寺跡の保存に向けた活動を始め、その成果として温故館が建設されました。この館は、当初は海老名村立尋常高等海老名小学校の校庭に設置され、地域の郷土資料を約500点収蔵していました。しかし、1923年(大正12年)の関東大震災で倒壊してしまいました。
震災後、倒壊した温故館は再建され、1925年(大正14年)に海老名村役場の敷地内に移築されました。その後、1964年(昭和39年)には相模国分寺跡中門跡地付近に再移転されましたが、再び移転を余儀なくされ、1970年(昭和45年)には国分字押堀248番地にプレハブ造りの建物として再度移転し、1971年(昭和46年)に再開館しました。
その後、1982年(昭和57年)に旧役場庁舎を改修し、温故館として再度使用されることになりました。しかし、2006年(平成18年)の耐震診断で、建物が震度6程度の地震で倒壊する恐れがあるとされたため、休館となりました。温故館の展示品は海老名市文化会館に一時移転されましたが、海老名市民の保存運動や近代建築遺構としての価値が認められたため、2011年(平成23年)に国分南一丁目に移築され、再び温故館として公開されています。
海老名市温故館の建物は、もともと1918年(大正7年)に海老名村役場として建設されたものです。木造二階建て、桟瓦葺きで、外壁はドイツ下見板(箱目地下見)で覆われています。特に注目すべきは、玄関ポーチの装飾で、直線的かつシンプルなデザインが施されています。
この建築様式は「郡役所様式」と呼ばれ、明治から大正期にかけて多くの役場で採用されていました。海老名村役場もその一例であり、和洋折衷の建築様式を特徴としています。設計と施工は、地元の大工である藤井熊太郎によって行われました。
役場として使用された後、商工会議所が入居しましたが、老朽化のため移転が計画されました。しかし、市民からの保存要望が強かったため、建物は保存され、1982年から温故館として利用されることになりました。その後、2011年に現在地に移築され、現在も海老名市の郷土資料館として地域の歴史を伝え続けています。
海老名市温故館は、地域の歴史と文化を学び、保存するための重要な施設です。その長い歴史と、多くの移転や改修を経て現在に至るまで、多くの人々の努力と情熱によって維持されてきました。この場所を訪れることで、海老名の歴史と文化に触れ、その重要性を実感することができるでしょう。