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有鹿神社

(あるか じんじゃ)

有鹿神社は、神奈川県海老名市に鎮座する歴史ある神社です。神奈川県の中央を流れる有鹿河(現在の鳩川)沿いに形成された有鹿郷に位置しています。古くは「お有鹿様」と呼ばれ、地域に深く根ざした存在として知られています。この神社の起源については諸説ありますが、一説には阿波の忌部氏が祖先を祀ったことが始まりとされています。奥宮は相模原市南区磯部にあり、神聖な場所として地元の人々に大切にされています。

有鹿神社の歴史と位置付け

延長5年(927年)に編纂された『延喜式神名帳』には、相模国の延喜式内社十三社の一社として有鹿神社が記載されています。これは、相模国における五之宮ともされる由緒ある神社であり、県社格の郷社としての位置付けがされています。現在では、神社本庁の包括下にあり、神奈川県神社庁に所属している海老名市の総氏神となっています。

寒川神社との関係

寒川神社の由緒書には「有鹿老(あるかのおゆ)」という記述があり、これは「有鹿の先輩」または「有鹿神社の方が由緒がある」という意味を持つものです。しかし、寒川神社の由緒書は後に亡失してしまいました。

近年の話題

2017年6月10日には、メディアで初登場したキャラクター『パンダ宮司』が話題となり、有鹿神社の知名度をさらに高めました。

本宮と奥宮、中宮

本宮の位置と祀られる神

有鹿神社の本宮は、神奈川県海老名市上郷に鎮座しており、有鹿比古命を主祭神として祀っています。本殿は春日造、檜皮葺で、元和8年(1623年)に再建されて以来、数回の修理を経て、美しい姿を現在に伝えています。本殿は海老名市の重要文化財に指定されています。

天井の龍絵

本宮の拝殿の天井には、万延元年(1860年)頃に藤原隆秀(近藤如水)によって描かれた龍の絵が施されています。この絵は豪快で精緻な筆致で描かれており、海老名市の文化財にも指定されています。さらに、この龍の絵を模写した絵馬も作成されています。

奥宮の位置と祀られる神

奥宮は、本宮から北に約6キロメートル離れた神奈川県相模原市南区磯部の「有鹿谷」に位置し、有鹿比女命を祀っています。奥宮の鎮座地には水源があり、そこには小祠と鳥居が設けられています。また、東側の丘陵(有鹿台)には勝坂遺跡があり、歴史的な価値も高い場所です。

中宮の位置と伝承

中宮は「有鹿の池(影向の池)」とも呼ばれ、本宮から約600メートルの位置にあり、有鹿比古命有鹿比女命の二柱が祀られています。鎮座地には小さな池と小祠、鳥居があり、この池で有鹿比女命が姿見をしていたという伝承が残っています。

神社周辺の関連スポット

本宮の東方約400メートルの位置には、摂社の三王三柱神社が鎮座しており、境内には「有鹿の井戸(化粧井戸)」があります。さらに、かつては本宮の参道より南方約400メートル離れた場所に鳥居がありましたが、現在ではその跡地は消失しています。

祭神について

有鹿比古命

有鹿比古命は、『古事記』や『日本書紀』には登場しない神で、太陽の男神とされています。海老名耕地の農耕の恵みをもたらす豊穣の神として、地域の人々に篤く崇められてきました。本宮と中宮で祀られ、農業や産業振興の神としても信仰されています。

有鹿比女命

有鹿比女命もまた、『古事記』や『日本書紀』には登場しない神で、水の女神とされています。主な神徳は安産や育児で、奥宮と中宮で祀られています。

大日靈貴命

大日靈貴命は、天照大神の別名であり、皇室の祖先神とされています。『新編相模国風土記稿』にもこの神が祭神として記載されていますが、近年では有鹿比古命と大日靈貴命は別の神であると結論づけられています。

摂社・末社

本宮の境内社

本宮の拝殿西側には、末社の日枝社(大己貴命)稲荷社(倉稲魂命)諏訪社(建御名方命)が鎮座しており、これらは三社様と総称されています。境内の東端には天神を祀る有鹿天神社があり、これは海老名氏の館跡東側から遷座されたものです。

境外社

境外には摂社が二社存在し、ひとつは本宮の南隣にある有鹿小学校の東側に鎮座する三王三柱神社です。この社の境内には「有鹿の井戸(化粧井戸)」があり、さらに南西方向には神武社が鎮座しています。

歴史的背景

延長5年(927年)の『延喜式神名帳』には、相模国の延喜式内社十三社のうちの一社(小社)として有鹿神社の名が記されています。また、相模国の五之宮ともされる古社であり、旧社格は郷社であったことから、地域における重要な神社であることがうかがえます。

古代の起源と創建

「有鹿」という名称は古代語で「水」を意味するとされ、鳩川沿いに広がる地域が「有鹿郷」と呼ばれるようになりました。神社のご神体は相模原市南区磯部の勝坂にある泉湧く洞窟で、奥宮が鎮座するこの地域周辺は、国の史跡である勝坂遺跡として指定されています。古代からの祭祀遺跡として、銅鏡や子持勾玉などの考古遺物が出土しており、神社の長い歴史を物語っています。

古代から中世にかけての発展

天智天皇3年(664年)には、国家的な祭礼が行われた記録が残っています。さらに、天平勝宝8歳(756年)には郷司の藤原廣政が海老名耕地五百町歩を寄進し、神社の神領としました。また、貞観11年(869年)には『三代実録』により、相模国従五位下だった有鹿神社が従五位上を授けられるなど、相模国における重要な神社として位置付けられていました。

中世の繁栄と衰退

鎌倉時代には『正一位』の叙位を賜り、社殿や総持院が豪奢に整備され、広大な境内を誇っていました。しかし、元弘3年(1333年)の関東大兵乱によって鎌倉幕府が滅亡した際に、新田義貞軍による兵火で有鹿神社も被害を受け、多くの文書や記録が失われました。その後も、永享の乱などにより神社は度重なる被害を受け、衰退していきました。

近世から現代までの復興

近世における再興

天正3年(1575年)には「水引祭」が復活し、相模国五ノ宮、海老名総鎮守として少しずつ復興してきました。また、徳川家康からの朱印十石の寄進や、高木主水の内室による社殿の再建が行われ、神社の地位が再び高められました。

近代における変遷

明治維新後、神仏分離令により有鹿神社は総持院と分離しました。明治6年(1873年)には一時的に県社に列せられましたが、最終的には郷社となりました。第二次世界大戦後、GHQの「神道指令」により郷社の地位を失いましたが、神社本庁に属し、宗教法人として存続しています。

現代の整備と文化財

平成4年(1992年)には、本殿および拝殿天井龍の絵図が海老名市の重要文化財に指定されるなど、近年は境内の整備が進められています。宮鐘の再鋳や鐘楼の再建、社殿屋根の葺き替え、手水舎の再建などが行われ、神社の歴史と文化が守られています。

祭事・年中行事

有鹿神社では、以下のような祭事・年中行事が行われています。

水引祭について

水引祭(みずひきまつり)は、4月8日に本宮より奥宮傍の「有鹿窟」へ霊石を運び、6月14日に還御する「有鹿さまの水もらい」とも呼ばれる神事です。かつては鳩川の水の利用権が海老名周辺の村々に優先されており、この祭りは地域の水資源を巡る重要な行事として位置付けられていました。

各宮と交通アクセス

各宮の位置

本宮:神奈川県海老名市上郷1-4-41

中宮:神奈川県海老名市上郷1-12

奥宮:神奈川県相模原市南区磯部1780の勝坂遺跡付近

交通アクセス

有鹿神社へのアクセスは公共交通機関と自家用車の両方で可能です。最寄り駅は小田急小田原線・JR相模線「海老名駅」で、そこから徒歩12〜15分ほどです。自家用車を利用する場合は、国道246号線を経由し、県道51号線を南下してアクセスできます。

また、神社の駐車場は約20台分のスペースがありますが、社務所に神職が常駐していないため、御朱印などを希望される方は事前に連絡を取ることをお勧めします。

Information

名称
有鹿神社
(あるか じんじゃ)

厚木・丹沢

神奈川県