逗子海岸は、神奈川県逗子市新宿に位置する、相模湾に面した美しい海岸です。かつては「逗子海水浴場」として多くの人々に親しまれており、新宿海岸、新宿浜、東郷浜などとも呼ばれていました。今日では「太陽が生まれたハーフマイルビーチ」としてその名を広めています。
逗子海岸は、その遠浅で波が穏やかな特徴から、家族連れや初心者にも安心して楽しめるビーチとして人気があります。浜辺は小細砂で構成されており、貝殻や砂利、泥が少ないことが際立っています。また、ウィンドサーフィンなどのマリンスポーツが盛んで、関東でも特に海開きが早い海水浴場の一つとして知られています。
毎年夏に開催される逗子海岸花火大会は、逗子市の代表的なイベントの一つです。ただし、2011年には東日本大震災の影響で中止され、翌年の2012年には海岸侵食による砂浜の縮小が懸念され、安全性への配慮から6月初旬に開催されました。
逗子海岸の歴史は、1892年(明治25年)に陸軍軍医である石黒忠悳らによって、海水浴場として最適な地として宣伝されたことから始まります。その後、徳冨蘆花の小説『不如帰』の舞台となり、次第に「逗子海水浴場」として広く知られるようになりました。2005年には、石原慎太郎の小説『太陽の季節』に基づく記念碑が設置されました。
江戸時代には、逗子村と小坪村の間で海岸の領有を巡る裁判が行われ、最終的に小坪村に属することが決まりました。当時は松の木が繁る、静かな海岸線でした。しかし、1888年には田越川の河口に旅館「養神亭」が開業し、1889年の横須賀線逗子駅の開業により、新宿海岸周辺には別荘が建ち始め、次第に海水浴客で賑わうようになりました。
1906年(明治39年)、日露戦争の勝利を記念して、新宿浜は東郷浜と改名されました。その後、大正期には「逗子なぎさホテル」が創業され、大正天皇が葉山御用邸で療養していた際には、ホテルが閣僚や皇族の執務の場として利用されました。さらに、1929年には国鉄が運営する海の家が設置され、戦後には「逗子モーターボートレース」が開催されるなど、地域のレクリエーションの中心地として発展しました。
近年、逗子海岸は、2014年に制定された規制条例によって刺青やタトゥー、音楽鑑賞、飲酒、バーベキューが禁止されるなど、安全で快適な環境が保たれています。また、現在も続く伝統的なイベントとして、夏には逗子海岸花火大会が開催されるほか、11月には武田流による流鏑馬の催しが行われています。
逗子海岸は美しい景観と穏やかな波に恵まれ、多くの観光客を魅了しています。特に、富士山と江の島を背景に望むことができる「トンネル富士」と呼ばれるビューポイントは絶景であり、訪れる人々を感動させます。アクセスも良好で、JR横須賀線逗子駅から徒歩で訪れることができます。