城ヶ島大橋は、神奈川県三浦市にある橋で、三浦半島の先端から海を越えて城ヶ島に至ります。この橋は城ヶ島へ渡る唯一の道路であり、三浦半島と城ヶ島を結ぶ重要な役割を果たしています。管理は神奈川県東部漁港事務所が行っており、橋はかつて有料道路でしたが、2020年4月1日より無料化されました。それ以前から、歩行者や自転車の通行は無料でした。
城ヶ島大橋の建設は1957年に始まり、1960年4月に開通しました。全長は575メートル、海面からの高さは16メートルから23.5メートルに及びます。総工費は7億1500万円で、橋は谷戸を越えて海橋に接続する陸橋も同時に建設されました。
この橋の周囲には、城ヶ島大橋より高い土地はほとんどなく、太平洋、相模湾、東京湾(浦賀水道)を一望することができます。特に、東に房総半島、南に伊豆大島、西側には伊豆東岸から湘南地域、そして富士山や丹沢山地が広がる絶景が楽しめます。真冬の早朝には、遠く赤石山脈(南アルプス)も望むことができ、また、日の出前に丹沢の白い山々が朝日で輝く幻想的な景色も見ることができます。
城ヶ島への交通手段は、かつて三崎仲崎岸壁から出ていた渡し舟が唯一の方法でした。しかし、昭和30年代になると、三崎漁港は城ヶ島を天然の防波堤とする良港であり、漁業の発展に伴い水揚げ量が増加しました。そのため、神奈川県は漁業施設の不足に対応するため、城ヶ島への埋め立てを計画し、その用地の経済的価値を高めるために、架橋が必要とされました。この計画の一環として建設されたのが、城ヶ島大橋です。
建設資金は、米国の余剰農産物見返資金から融資されました。橋の建設時に借り入れた資金は1979年に返済が完了しましたが、橋の老朽化が進んでいたため、維持管理費を賄うために2020年3月まで料金徴収が続けられました。ただし、城ヶ島の島民は開通当初から無料で橋を利用できました。
橋が架設された後、城ヶ島側の海岸が大規模に埋め立てられ、県水産試験場や新潟造船三崎工場などの漁港施設が建設されました。これにより、三崎港は全国一の水揚量を誇るまでに発展し、観光客の誘致も進みました。しかし、その一方で、源頼朝以来、多くの著名人が愛した島の風情は一部失われました。
城ヶ島大橋は、その構造にも特徴があります。海上部分の中央主径間(赤い部分)は三径間連続鋼床板箱桁(Box Girder)で設計されています。これは、当時としては日本で初めて採用された形式で、東洋一の規模を誇ります。また、三崎側と城ヶ島側にはPCポストテンション単純桁が使用され、鉄筋コンクリート製の橋脚が支えています。
この橋の設計は、横河橋梁製作所(現:横河ブリッジ)が手掛け、日本の橋梁技術の粋を集めたものです。鋼床板箱桁は、鋼材の暴露面積を最小限に抑え、腐食を防止しながら、自重を軽減するという合理的な設計となっています。また、海面からの高さを大きく取るため、城ヶ島側の取付道路にはループ線が採用されています。
城ヶ島大橋の下を通過する遠洋漁業の大型船舶に対応するため、橋の中央部には95メートルもの長大なスパン(橋脚間隔)が設けられています。この設計により、城ヶ島大橋は太平洋戦争後の高度経済成長期における海上架橋技術の象徴として注目を浴び、多くの技術者や専門家から高い評価を受けました。
城ヶ島大橋は、地域社会にとっても重要なインフラであり、漁業の発展と観光業の振興に大きく寄与しました。2023年(令和5年)には、土木学会選奨土木遺産に認定され、その歴史的価値も再評価されています。
橋の無料化以降、多くの観光客が訪れるようになり、城ヶ島とその周辺地域は再び活気を取り戻しています。この橋が架けられたことで、城ヶ島と三浦半島はさらに強く結びつき、今後も地域の発展に寄与し続けることでしょう。