城ヶ島は、神奈川県三浦半島の南端に位置する島で、神奈川県最大の自然島として知られています。周囲は約4 km、面積は0.99 km²で、東西約1.8 km、南北約0.6 kmの細長い菱形の地形を持っています。島内には、東西南北にそれぞれ安房ヶ崎(東)、長津呂崎(西)、赤羽根崎(南)、遊ヶ崎(北)という岬があり、長津呂崎には城ヶ島灯台、安房ヶ崎には安房埼灯台が建てられています。安房ヶ崎は神奈川県の最南端でもあります。
城ヶ島は、古くから景勝地として知られ、漁業や軍事、交通、文学など多方面にわたる歴史があります。大正時代末期から太平洋戦争終戦まで、島の東部には東京湾要塞の一部を構成する砲台が存在しましたが、戦後は「城ヶ島公園」として市民に開放されました。三崎からの距離は約500メートルで、三崎漁港と共に歴史的にも深い関わりを持つ地域です。
「城ヶ島」という名称は、1641年に刊行された『北条五代記』に初めて登場します。この書物によると、鎌倉時代に源頼朝やその子孫が城ヶ島を訪れ、桜の花を愛でるなどしていたことが記されています。また、永正15年(1518年)には、北条早雲が三崎城を再興した後、城ヶ島へ渡って遊興に興じたとも伝えられています。
かつては三崎仲崎岸壁から出る渡し舟が唯一の渡島手段でしたが、1960年に城ヶ島大橋が開通し、三崎との一体化が進みました。この橋の開通により、城ヶ島は磯釣りや磯遊びに適した行楽地として多くの観光客を引き寄せるようになりました。
城ヶ島は、地元の重要な観光資源として古くから知られており、その歴史は鎌倉時代に遡ります。源頼朝が度々訪れ、島内には「遊ヶ崎」や「水っ垂れ」、「酔女ヶ浜」など、彼にまつわる由来が残されています。明治時代に入り、三崎と東京を結ぶ汽船が就航すると、城ヶ島は都会からの避暑地として賑わい、遊ヶ崎には海水浴場が開設されました。
大正時代には北原白秋の『城ヶ島の雨』が発表され、城ヶ島は若い男女の憧れを集めるロマンティックな島として全国的に知られるようになりました。しかし、関東地震に伴う地盤隆起により砂浜が露出し、海水浴客は減少しました。さらに、城ヶ島砲台が設置され、城ヶ島は要塞の時代を迎えました。
戦後、城ヶ島は東京に近い観光地として再び脚光を浴びるようになり、昭和30年代以降、三浦市に訪れる観光客の30%近くが城ヶ島を訪れました。特に、1960年の城ヶ島大橋開通後は、年間約147万人が訪れ、砲台跡地は県立城ヶ島公園として整備されました。また、1963年には京急グループが城ヶ島 - 油壺間に定期観光船を就航させ、観光が一層活発化しました。
城ヶ島の観光が最も盛んだったのは1970年から1971年(昭和45年から46年)で、年間200万人以上の観光客が訪れ、京浜急行電鉄が快速特急「城ヶ島・マリンパーク号」や「城ヶ島号」などの臨時列車を運行しました。しかし、オイルショック後、観光客数は急減し、1970年代後半から1980年代にかけて増減を繰り返しながら減少傾向が続きました。平成に入ってからは、他の観光地やレジャー施設への客足シフトが進み、城ヶ島の観光客はさらに減少しています。
2018年11月、神奈川県と三浦市、城ヶ島区、京急グループが共同で城ヶ島の再開発計画を発表しました。県は城ヶ島大橋を無料化し、京急グループは城ヶ島京急ホテルの建て替えなどを進め、再び観光客を呼び込む努力が続けられています。
城ヶ島は標高30 mほどの平坦な台地が大部分を占め、沿岸部では急激に海に落ち込んでいます。海岸は島の東西端部に岩礁地帯が広がり、太平洋側の赤羽根崎より東側には険しい海食崖が発達しています。
北岸と南岸では土地利用が大きく異なります。北岸は三崎港に面し、ひなびた漁港風景が広がります。城ヶ島大橋を境に、東側には水産研究所や大型船造船施設、県立城ヶ島公園があり、西側には漁業施設や水産会社施設、民宿、住民の生活の場があります。
かつての北岸には砂浜が広がっていましたが、1923年の関東地震による隆起と日本軍による城ヶ島砲台設置により、砂浜は減少し磯浜に変わりました。その後、三崎漁港の施設用地不足を解消するために神奈川県が埋立事業を行い、現在では島の面積の約19%が埋立地となっています。
城ヶ島の南岸は太平洋に面しており、自然がそのまま残されています。人工物とは無縁の静かな環境が保たれており、自動車も近づけないため、船の航行音以外に人工音はほとんど聞こえません。
赤羽根崎より東側は海食崖が発達しており、人が容易に近づけないため、ウミウ、ヒメウ、クロサギの繁殖地となっています。この繁殖地は神奈川県の指定天然記念物に指定されており、城ヶ島公園から灯台に至る道中から望むことができます。
城ヶ島南岸には東西を結ぶハイキングコースが整備されており、普段は静かなため、夏場にはキャンプを楽しむ人々が訪れます。しかし、外海に直接面しているため、暴風時には岩場よりも高い波が押し寄せることもあります。また、遠方で津波が発生した場合、島に近づくにつれ急に波高を増して襲ってくる危険性があるため、注意が必要です。
城ヶ島の樹木は主に北岸に集中して生えています。南岸の崖には強い海風のため樹木はほとんど生えておらず、台地上の樹木も北側に傾いて生えています。スイセン、ハマユウ、ハマナデシコなどの海浜植物が自生しており、台地上にはハチジョウススキが密生しています。
城ヶ島は黒潮の影響を受け、冬でも温暖な太平洋岸気候に属しています。島の太平洋側では暴風時に激しい風が吹きますが、三崎側の海面は本島が天然の防波堤として機能しており、比較的穏やかです。
城ヶ島の地質は、東部と西部で異なります。東部は約550 - 400万年前に堆積したスコリア質砂岩からなる初声層、西部は約1,200 - 830万年前に堆積した凝灰質シルトとスコリア質凝灰岩の互層の三崎層から成っています。
度々発生する大地震によって隆起を繰り返したため、岩礁には褶曲などの地質学的に貴重な露頭が多く見られます。2007年には、「日本の地質百選」に選ばれるなど、地質学的価値の高い場所として評価されています。
城ヶ島では、弥生時代から漁業が行われていたと考えられており、江戸時代には商業的な漁業が発展しました。特に、アワビは「新かながわの名産100選」にも選ばれており、現在も沿岸漁業が中心となっています。また、島内には神奈川県水産技術センターが設置されており、漁業技術の研究が行われています。
城ヶ島の北岸は、三崎港に面し、漁業施設や水産会社の施設が点在しています。また、県立の城ヶ島公園が広がり、観光客に人気のスポットとなっています。一方、南岸は自然がそのまま残されており、東西を結ぶハイキングコースが整備されています。特に、赤羽根崎からは海食崖やウミウの繁殖地が見られ、自然愛好家にとっては魅力的な場所です。
城ヶ島の植生は、北岸に集中しています。特に、スイセンやハマナデシコなどの海浜植物が自生しており、島の独特な生態系を形成しています。また、ハチジョウススキが台地上に密生しており、島内の眺望を楽しむことができます。これらの自然環境を守るために、地域では自然保護活動が行われています。
城ヶ島は、神奈川県の歴史と自然が調和した美しい島です。観光地としての魅力はもちろん、歴史的な背景や豊かな自然環境も見逃せません。訪れる人々は、島の自然と歴史を感じながら、静かな時間を過ごすことができるでしょう。