神奈川県 » 江ノ島・湘南

寒川神社

(さむかわ じんじゃ)

寒川神社は、神奈川県高座郡寒川町宮山に鎮座する神社で、相模国一之宮として知られています。この神社は式内社(名神大社)であり、旧社格は国幣中社です。現在は神社本庁の別表神社として多くの信仰を集めています。寒川神社は、関東地方における著名な神社の一つであり、年間約200万人の参拝者が訪れます。

創建と歴史

寒川神社の創建時期は不詳とされていますが、極めて古い時代に遡るとされています。雄略天皇の御代には既に朝廷より幣帛の奉勅があり、延長5年(927年)の『延喜式神名帳』には、相模国唯一の国幣大社として朝廷の名神祭に預かる名神大社に列格されています。寒川神社は、その創建以来、八方除けの守護神として信仰を集めてきました。

寒川神社は、弥生時代には相模湾が近くまで入り込んでいた現在の神奈川県中央南部に位置しています。そのため、寒川神社が建立された当時(西暦500年~700年)は、海水準が高く、直接相模湾に面していたと考えられています。また、神社の起源は縄文時代や古墳時代にまで遡る可能性があり、近隣には日本最大級の縄文遺跡である岡田遺跡があります。

寒川神社の信仰と参拝

寒川神社は、八方除けの神として広く信仰されており、特に正月三が日には約50万人もの参拝者が初詣に訪れます。元日午前0時には大太鼓の合図と共に八方除祭・元旦祈祷祭が行われ、近年では迎春ねぶたの初点灯も実施されています。また、多くの著名人が参拝することでも知られており、俳優の高倉健が映画やドラマの撮影の合間に度々参拝に訪れていたことが有名です。

さらに、寒川神社は、宗教法人として寒川病院や老人介護施設「神恵苑」を運営しており、地域社会に貢献しています。

祭神と信仰

寒川神社の現在の祭神は以下の2柱で、寒川大明神と総称されています。

これらの神々は記紀には記載がなく、その詳細は不明です。寒川比古命・寒川比女命は、大水上命(おおみなかみのかみ)の御子とする説もあります。また、牟弥乃神社(伊勢神宮末社)でも祀られており、大水上命は大山祇神と同一視されることがありますが、これも詳細は不明です。

さらに、寒川神社の祭神については、佐河大明神(吾妻鏡十二)、八幡神/八幡大菩薩(諸国一宮神名帳等)、あるいは菊理媛命(惣国風土記)、澤女神(神名帳考証、神名帳注釈)、素盞嗚命と稲田姫尊(旧神詞記)、大己貴尊(一宮巡詣記)などの諸説があります。

寒川神社の境内と参道

寒川神社の本殿および拝殿の手前には神門があり、参道は当社境内から南に約1kmほど進んだJR相模線の踏切近くにある一之鳥居から始まります。参道途中には二之鳥居(大鳥居)があり、境内入口には最後の鳥居となる三之鳥居が配置されています。

2001年より新年から2月の節分まで、神門に神話にちなんだ迎春ねぶたが飾られるようになり、夜にはライトアップも行われています。2012年まではその年の干支にちなんだねぶたが飾られていましたが、干支が一巡した2013年からは神話ねぶたが飾られるようになりました。

神嶽山神苑とその見所

寒川神社の裏手には神嶽山神苑(かんたけやましんえん)が広がっています。この神苑は、寒川神社の起源と深い関係がある「難波の小池(なんばのこいけ)」を中心に、裏山の神嶽山(かんたけやま)を主としています。元は禁足地でありましたが、2009年に「神嶽山神苑」として整備され、世界的に有名な日本庭園デザイナーである曹洞宗僧侶の枡野俊明によって設計されました。

神嶽山神苑は、4月1日から11月30日までの期間、開苑しています。毎週月曜日は休苑日ですが、祝祭日は開苑されています。入苑は本殿で祈祷を受けた者に限られており、祈祷の初穂料によって入苑が可能です。

寒川神社の文化財

寒川神社には、神奈川県指定重要文化財である「六十二間筋兜鉢・附金具残闕三種」があります。この兜は、武田信玄が永禄12年(1569年)に後北条氏の小田原城を攻めた際に戦勝を祈願して奉納したとも伝えられています。この兜は、戦国時代の関東地方で製作された筋兜鉢の基準例とされ、非常に入念な作りが特徴です。

また、兜鉢には「天文六年丁酉三月吉日」の年紀が刻まれており、武田氏の家紋である花菱紋が飾られています。これにより、信玄が奉納した可能性が高いと考えられています。

以上のように、寒川神社は歴史と文化を持ち、多くの人々に信仰されている神社です。神嶽山神苑や文化財など、見どころも多く、訪れる価値のある場所となっています。

Information

名称
寒川神社
(さむかわ じんじゃ)

江ノ島・湘南

神奈川県