比々多神社は、神奈川県伊勢原市三ノ宮に鎮座する、旧相模国でも最も古い神社の一つです。この神社は、古代からの歴史を誇り、現在では神奈川県神社庁により献幣使参向神社として位置付けられています。かつては「冠大明神」とも称されていたことからも、その格調の高さがうかがえます。
比々多神社は、延長5年(927年)の『延喜式神名帳』にも記載されている格式高い神社であり、相模国の延喜式内社十三社の内の一社(小社)として知られています。ただし、同じく式内社「比比多神社」として伝えられている論社も存在しており、その中には上糟屋村(現 伊勢原市上粕屋)の子易明神社も含まれます。当社は、毎年5月5日に大磯町国府本郷の神揃山で行われる相模国の伝統的な祭事、国府祭(こうのまち)に参加する相模五社の一つとしても知られており、同国三宮にあたります。
比々多神社の主祭神には、豊国主尊、天明玉命、雅日女尊、日本武尊が祀られています。相殿神としては、大酒解神(大山祇神)と小酒解神(木花咲耶姫)が祀られています。現在の祭神はこれらとされていますが、過去にはいくつかの説が存在し、例えば『新編相模国風土記稿 巻之50』には、当社の社頭にあった梵鐘の銘文に染屋太郎大夫時忠の霊が祀られていたとの記述が見られます。
比々多神社の起源は、天保5年(1834年)に書かれた『比比多伝記』によれば、神武天皇の時代にまで遡ります。天下平定の際に人々を護るために建立されたとされており、神武天皇6年(紀元前655年)に古くから祭祀の行われていたこの地に社が建てられました。また、境内およびその近隣からは、縄文時代中期の環状配石中にある立石が祭祀遺跡と推定されており、1万年以上前の縄文時代の原初的な山岳信仰にまで遡るとされています。
崇神天皇7年(紀元前91年)に神地神戸が寄進され、垂仁天皇27年(紀元前3年)には神祇官が詔を受け弓矢を奉幣しました。また、大化元年(645年)には大酒解神と小酒解神の2柱を合祀し、持統天皇6年(692年)には国司布施朝臣色布智が社殿を修復し、狛犬1対を奉納しています。さらに、天平15年(743年)には紀朝臣益麿を初代宮司に迎え、荘園が聖武天皇より賜りました。
中世には、元暦元年(1184年)に源頼朝が大規模な社殿再建を行い、文治元年(1185年)には天下泰平祈願の御願書を奉納しています。また、『吾妻鏡』には、源頼朝が北条政子の安産を祈願し、神馬が奉納されたことが記されています。
『新編相模国風土記稿 巻之50』によれば、明応年間(1492年 - 1501年)には兵火により社領を失い、大きく衰微しましたが、天正年間(1573年 - 1593年)の初めに現在地に遷座されました。さらに、天正19年(1591年)には徳川家康より朱印状が下され、社領10石が寄進されたことで、ようやく復興を遂げました。
明治6年(1873年)には郷社に定められ、16ヶ村の総鎮守となり、明治41年(1908年)には神饌幣帛供進神社に指定されました。現在では神奈川県神社庁による献幣使参向神社として、多くの信仰を集めています。また、太平洋戦争中には戦時供出により梵鐘が失われましたが、昭和25年(1950年)に新たに作製されました。昭和28年(1953年)には、元宮司である永井参治により三之宮郷土博物館が併設されています。
比々多神社では、年間を通じて様々な祭事が行われています。主な祭事としては、以下のようなものがあります。
比々多神社へのアクセスは、以下の通りです。