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川崎市 岡本太郎美術館

(TARO OKAMOTO MUSEUM of ART,KAWASAKI)

川崎市岡本太郎美術館は、神奈川県川崎市多摩区桝形の生田緑地内に位置する市立美術館です。この美術館は、著名な芸術家である岡本太郎氏より寄贈された1779点の作品を所蔵し、展示しています。美術館は、岡本太郎の没後3年後の1999年に開館しました。

美術館の概要

美術館の設立計画は、1991年11月に岡本太郎氏が352点の作品を川崎市に寄贈したことに端を発します。この寄贈を受け、翌年6月に「仮称岡本記念館建設構想委員会」が設置され、1993年3月には基本構想が発表されました。当初、美術館は生田緑地内の噴水広場に5000㎡の完全地下式美術館と45mのシンボルタワーを建設する計画でした。しかし、環境調査の結果により、建設地は噴水広場奥の谷戸に変更され、シンボルタワーの高さも40mに修正されました。

その後、川崎市は1995年6月に建設地を再度変更し、生田緑地内のゴルフ練習場に決定しました。岡本太郎氏は1996年1月に亡くなり、生前に美術館の開館を迎えることはできませんでしたが、同年11月に建設工事が開始され、1999年2月に美術館が完成し、同年10月30日に開館しました。

多摩区の新たな名物「TAROの夢もなか」

川崎市岡本太郎美術館の開館にちなみ、多摩区内の和菓子店が共同で土産菓子「TAROの夢もなか」を開発しました。太郎の名言「芸術は爆発だ」を表現するため、もなかの皮には唐辛子が練り込まれています。この独特なお菓子は、「かわさき名産品」にも選ばれ、多摩区内および麻生区内の和菓子店で販売されています。

美術館の施設

常設展示室

常設展示室では、岡本太郎の芸術作品や著作、パフォーマンス、フィールドワークなどを展示し、その芸術活動の軌跡を伝えています。展示空間は、作品の特徴や時代ごとの傾向を反映させ、独自の空間構成がなされており、映像やグラフィック、照明効果を駆使した演出が特徴です。従来の美術館とは異なり、岡本太郎の世界を体験できる展示が提供されています。

企画展示室

企画展示室では、岡本太郎の作品や資料に加え、新人作家の紹介や幅広い現代美術の展示、さらには参加型の展覧会など、多様な展示が行われています。

「母の塔」

美術館のシンボルタワーである「母の塔」は、1971年に岡本太郎氏によって原型が制作されました。この塔は「大地に深く根ざした巨木のたくましさ」「ゆたかでふくよかな母のやさしさ」「天空に向かって燃えさかる永遠の生命」をテーマに、高さ30mのスケールで具現化された作品です。

交通アクセス

美術館へのアクセスは、小田急小田原線の向ヶ丘遊園駅から徒歩圏内で、駅南口から川崎市バス「生田緑地入口」停留所より徒歩で到着します。また、溝の口駅南口(川崎市バス)や、たまプラーザ駅(東急バス)からも「生田緑地入口」停留所までのバス便があります。

美術館の沿革

川崎市岡本太郎美術館の沿革は、1991年11月に岡本太郎氏からの作品寄贈を受けたことから始まります。以降、美術館建設に向けた数々の計画が進行し、1999年10月に開館を迎えました。また、美術館の発足以降、岡本敏子氏からの追加寄贈や、館内の「母の塔」補修工事などが行われ、開館10周年や15周年を記念した様々な展覧会も開催されています。

反対運動と自然の権利訴訟

美術館の建設地選定に際しては、一部の地域住民から「自然を破壊する」との反対意見が寄せられました。1993年に結成された市民団体「生田緑地の自然を守る会」は、川崎市を相手取り、訴訟に発展しました。この訴訟は、動物や植物を「自然の権利訴訟」の原告として争う前例のないものでした。

最終的に、2001年6月に「自然の権利訴訟」の判決が確定し、美術館建設に公金が支出されたことは条例違反であるが、市に損害をもたらしたとは言えないとして、原告の請求は棄却されました。この確定判決を受け、翌年5月に「生田緑地の自然を守る会」は解散しました。

Information

名称
川崎市 岡本太郎美術館
(TARO OKAMOTO MUSEUM of ART,KAWASAKI)

川崎

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